夜にねんかかる
武内明子展 「文無日記/風にねんかかる」までの津奈木滞在記録
20160106
-----→オワリ
なんだか歯切れが悪いと思っていたら、皆さんにお礼を言っていませんでした。
家の隣に住んでいたおじいちゃんから
世界のどこかで日記を読んでくださった方まで
本当にありがとうございました。
つなぎ
な日々はいつも
ぎりぎり
だったけれど
いまはゆっくり
すきだった風景が
きおくの中で
あいすく
りいむ。
がかと町と絵の話
とうとう終わっちゃうんだね。と
うとう。
20160102
夜にねんかかる
あけましておめでとうございます
2016年になりました。
2015年5月から始まった、ブログ「夜にねんかかる」ですが、今夜で最後にしたいと思います。
滞在が始まる時、ブログをやろうとは少しも思っていませんでした。
だいたい、展覧会のタイトルが「文無日記」だし、私が日記を書く?まさか。
自分は文が書けないと思っていたからです。
ただ、津奈木にやって来た日の一枚目の写真が、私に新しいページを作ろうという気を持たせてくれました。
ただ写真をポンと載せただけ。
日記を書くつもりはありませんでした。
だけど次の日、学芸員の楠本さんとお話して、「日々あった事をそのまま書けばいいんじゃない?記録になるよ。」とアドバイスをいただいて、そうだな、と思って自分の津奈木滞在の記録と思ってはじめました。
毎日書こうなんて思っていなかったけど、昨夜書いた日記が恥ずかしくなって、早く今日の日記で被せて覆わないと。という焦った気持ちから、滞在中は毎日書く事になりました。
新しく使う漢字は一回一回調べて、言い回しもこれであってるか調べて、こんな日本語あるっけとか、たぶん今でも間違いたくさんあると思うけど、本当に馬鹿だから、、考えた事とか思った事を文にすることは本当に難しかったです。
最後は自分の知っている言葉をつなぎ合わせて、自分に寄せていくしかないです。
滞在が終わって展覧会が始まったら、このブログもスパッと終わろうと思っていたのだけど、歯切れが悪くてダラダラと続けてしまっていました。
(今、「歯切れが悪くて」でいいのかな、と類語を調べてみたら、
二の足を踏む・戸惑う・躊躇する・躊躇う・尻込みする・踏ん切りが付かずにいる・思い切りが悪い・優柔不断な・渋る・迷う・判断までに時間がかかる・逡巡する・愚図愚図する・グズグズする・一歩を踏み出せない・判断できずにいる・踏ん切りがつかない・煮え切らない・考えあぐねる・躊躇を感じる・判断に苦しむ・決められない・優柔不断を発揮する・思いあぐねる・気持ちが揺れる・思い切れない・ウジウジする・いじいじと・男らしくない・歯切れが悪い・決心できずにいる・踏み切れずにいる
二の足を踏む・戸惑う・躊躇する・躊躇う・尻込みする・踏ん切りが付かずにいる・思い切りが悪い・優柔不断な・渋る・迷う・判断までに時間がかかる・逡巡する・愚図愚図する・グズグズする・一歩を踏み出せない・判断できずにいる・踏ん切りがつかない・煮え切らない・考えあぐねる・躊躇を感じる・判断に苦しむ・決められない・優柔不断を発揮する・思いあぐねる・気持ちが揺れる・思い切れない・ウジウジする・いじいじと・男らしくない・歯切れが悪い・決心できずにいる・踏み切れずにいる
すべての言葉に気持ちが当てはまって、びっくりした。しかも何という親近感。)
どうもクールには振る舞えないようです。
展覧会最終日も寂しかったんだ。
まるで、あと数時間しか生きられないってわかっている人の病室にいるみたいだった。
そんなに悲しがることは一つもないんだけど。
暇、なのかな。
いつまでもあると思うなコイノボリ
書かなきゃいけないことも、書きたいことも、たくさんあった。
だけど、時間がすぎてしまって。
今、何度も目を瞑っているところ。
書きたかったことは、時間と共に忘れていきたいです。
答えが出た時に、私は考えていたのだ、と気付くのと同じように、
何かがわかった瞬間に、私は今までこの事を考えていたのだと気付く気がします。
だから今はわからないんです。
夜にねんかかる、歯切れは悪いですが、これで終わりにします。
朝になっちゃうしね。
長い間ありがとうございました。
オマケ
20151231
文無日記/風にねんかかる
文無日記/風にねんかかる
個展のタイトルでした。
年の瀬ですね。
やっと気持ちが落ち着いてきました。
展覧会が終わってすぐは、町でオレンジの物を見かけるとハッとなっていました。
オレンジの壁、オレンジの看板、オレンジの旗...
個展のポスターがオレンジ色だったので、その感覚が染み付いていて反応してしまっていました。
まるでもう亡き人を探しているような。
オレンジの視線を感じて振り返っては、あれは違うのよ、もう終わったのよ、と自分に言い聞かせていました。
こんなに目の中にまでオレンジ色が入ってきているなんて気づいていませんでした。
もう大丈夫です。
2015年は津奈木の年でした。
2015年のはじめ、私は川原の土手を走っていました。
その日は風が強くて、行きは追い風でよかったのですが、帰りが強い向かい風で走っても走ってもなかなか進みませんでした。
あと少しなのに。風はどんどん強くなります。
体は漫画のようにスローモーションで。まるで大きい空気の壁にぶちあたっているかのようでした。
突然、その風が大きい空気のボールのように感じて、私は走りながら「今、風にねんかかっても私は倒れない。風にねんかかれる。」と思いました。
(「ねんかかる」とは熊本弁で「寄りかかる」の意味です。)
もしねんかかってもボヨーンって跳ね返ってくるイメージです。
そこには確かな抵抗がありました。
風にねんかかる。その日以来あたまの中にこの言葉がありました。
詩ではないです。自分の体験がそのまま口から出て言葉になったのでした。
今年もあと二時間。
「文無日記」は去年の年末ふと降ってきた言葉です。
ぶんなしだけど、もんなし(一文無し)とも読めて、私、貧乏だしな、それでもいいな。
文章を書くのは苦手です。だけど
文が無くても日記を綴ってみたいな。
展覧会のタイトル、はじめはあたまの中にあった「風にねんかかる」にしようかな、と思ったけど、「風」という言葉がどうしても自分のなかでは使い古された感じがして、嫌だった。
風だの空だの海だの、なんかなぁ。
だけど、風の代わりになる言葉を探したけど、風に代わる言葉は見つからなかった。
あの日、わたしがねんかかったのは風だから。
(ふわっとした)風のイメージに蓋をしたくて、漢字四文字(小石のように少し重い)の「文無日記」を前にくっつけた。
文無日記/風にねんかかる
そうやって、自分の中でバランスをとった。
ねんかかる、ねんかかる、ねんかかる、
一年前にぽろりと口から出た言葉をこんなに言い続けるなんて思っていなかった。
でも確かに私はねんかかること無しには生きていくことができない。
悲しくも自分らしい。
2015年に挫折した目標、「背筋を伸ばす」を引き続き2016年の目標にしたいです。
20151219
ミコリ,山ユカ
そういえば、最終日前日
中学生二人が美術館にやって来た。
11/14のワークショップ、参加できなかったけど、本当は参加したかったって。
だから、写真を持って来たらできるよ、おいでって言った。
11/28
ミコリ,山ユカの手彩色絵葉書ワークショップ開催です!
勝手にアトリエを開放して、これが油絵具っていうんだよ。水じゃなくて油で溶くんだよ。なんて説明をしながら、白黒写真に彩色していきました。
この日は期末テスト期間中だったので、試験勉強の話しをしました。
ミコリちゃんが「そう言えば、美術の試験で武内さんに関しての問題が出るそうなんですけど、なんですか?」
って聞いてきてびっくりしました。
そんな話、聞いていません。
窓の外を通りかかった男子も聞いてきましたが、
「わからない、ごめんね。三原色の話しかな?」と真面目に答えました。
週に何回お風呂に入るでしょう?とかかな?と思ったけど、そんな事みんな知らない。
後日、どんなのだったか聞いたら、私のフルネームを書くのと、私が津奈木滞在中に絵を描いた海の場所はどこか、という問題だったらしい。
三ツ島海水浴場です。
武内明子
津奈木の絵葉書できました。きれい。
あと、三年生だから受験の話しとか。
私、勉強全然できなかったんだ。バカなんだよー。というと、
「うん、わかる!」って言われてしまいました。
そういう時って、否定してくれるもんだと思っていたのですが、
「授業もやばかったもん。みんな、喋り方やばいねーって言ってたよ。」
と言われて、またびっくりしました。
先生は生徒に尊敬されるもんだと思っていました。
まぁーいいか。先生じゃないし。
素直で美しい、津奈木の手彩色絵葉書。
なんだか、大人っぽくて賢そうな二人。
こんな事もあったな、と思い出し、日記を書きました。
受験がんばってね。
20151206
鑑賞会
文無日記<白ノート>
展覧会開催中に、津奈木中学校のみなさんが授業で美術館に来てくれて、私の絵をスケッチしてくれました。
自分の絵が描かれるのは初めてだったので、展覧会終了後このプリントを見て、感動しました。
中学生のワークシートと共に作品を少し紹介します。
鳥も泳ぎたい
今度の舟は大きい
ススのドローイング(停電の夜)
日記/海に描きに行く
君達兄弟だね
展覧展覧
ハートが一つあります(展覧展覧の一部)
文無日記/あとがき
横にしました
文無日記/あとがき(部分)
くるっと逆さにしたら、
あれ?
カモメが6羽飛んでるみたい。
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ススのドローイング
夜
つなぎ塩レモン
夕焼ノート
空と空っぽ
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