文無日記/風にねんかかる
個展のタイトルでした。
年の瀬ですね。
やっと気持ちが落ち着いてきました。
展覧会が終わってすぐは、町でオレンジの物を見かけるとハッとなっていました。
オレンジの壁、オレンジの看板、オレンジの旗...
個展のポスターがオレンジ色だったので、その感覚が染み付いていて反応してしまっていました。
まるでもう亡き人を探しているような。
オレンジの視線を感じて振り返っては、あれは違うのよ、もう終わったのよ、と自分に言い聞かせていました。
こんなに目の中にまでオレンジ色が入ってきているなんて気づいていませんでした。
もう大丈夫です。
2015年は津奈木の年でした。
2015年のはじめ、私は川原の土手を走っていました。
その日は風が強くて、行きは追い風でよかったのですが、帰りが強い向かい風で走っても走ってもなかなか進みませんでした。
あと少しなのに。風はどんどん強くなります。
体は漫画のようにスローモーションで。まるで大きい空気の壁にぶちあたっているかのようでした。
突然、その風が大きい空気のボールのように感じて、私は走りながら「今、風にねんかかっても私は倒れない。風にねんかかれる。」と思いました。
(「ねんかかる」とは熊本弁で「寄りかかる」の意味です。)
もしねんかかってもボヨーンって跳ね返ってくるイメージです。
そこには確かな抵抗がありました。
風にねんかかる。その日以来あたまの中にこの言葉がありました。
詩ではないです。自分の体験がそのまま口から出て言葉になったのでした。
今年もあと二時間。
「文無日記」は去年の年末ふと降ってきた言葉です。
ぶんなしだけど、もんなし(一文無し)とも読めて、私、貧乏だしな、それでもいいな。
文章を書くのは苦手です。だけど
文が無くても日記を綴ってみたいな。
展覧会のタイトル、はじめはあたまの中にあった「風にねんかかる」にしようかな、と思ったけど、「風」という言葉がどうしても自分のなかでは使い古された感じがして、嫌だった。
風だの空だの海だの、なんかなぁ。
だけど、風の代わりになる言葉を探したけど、風に代わる言葉は見つからなかった。
あの日、わたしがねんかかったのは風だから。
(ふわっとした)風のイメージに蓋をしたくて、漢字四文字(小石のように少し重い)の「文無日記」を前にくっつけた。
文無日記/風にねんかかる
そうやって、自分の中でバランスをとった。
ねんかかる、ねんかかる、ねんかかる、
一年前にぽろりと口から出た言葉をこんなに言い続けるなんて思っていなかった。
でも確かに私はねんかかること無しには生きていくことができない。
悲しくも自分らしい。
2015年に挫折した目標、「背筋を伸ばす」を引き続き2016年の目標にしたいです。